好きな風景、好きな匂い、お布団 ◇お題箱から

「好きな風景について聞かせてください!」

木や蔓や草や苔や、緑が生い茂ってる森の中。

砂浜があって水面がキラキラチラチラしてる海。

街でも村でも山でも海でも川でも、夕焼けが広がる空。

芝生が広がる広場。

すぐ近くに滑走路があって飛行機が飛んでいったり降りてきたりする田舎。

程よい田舎は、こんな風景は至るところにあるから大好きです。

都会では、

山ほど山ほどの本が置いてある図書館や本屋。

人がたくさんいるのに古い街。

欠品のないケーキバイキングやビュッフェ。

猫が顔を洗っていたり、無防備にごろっと寝ている室内や屋外。

今暮らしてる石巻は、まだ工事中の箇所が多々あって、そこは綺麗に舗装されていて、たまにテレビで観る7年前の光景を思うと、復興はまだまだと言われていても、再生を目指す人間の力はもの凄いな、と感心せざるを得ません。

石巻にもたくさん山があって大きな川があって海があって、良い風景好きな風景がたくさんです。

 

「好きな匂いはありますか?」

これはおそらく、放浪幼児(門限あり)の頃から変わらない二つで、シュッシュと霧吹きで水をかけてからアイロンを置いた時の匂いと、乾いたアスファルトにパラパラ雨が降ってきた時に立ち上がる埃?の匂いです。

断然これです。生きてる証といっても過言ではない、私の好きな匂いです。

思い出してたら、なぜか餃子が食べたくなりました。

 

「お布団に入るのは好きな子でしたか」

お布団に入るのは好きな子でした。9歳くらいまで。

そして20数年を経て、今が人生の中で一番お布団に入るのが好きな時かもしれません。

9歳までの時は、お布団を敷いてる母を襖の陰からニラニラ見つめて、シーツを敷き終わり、枕をぽふんと置いた瞬間に敷きたてシーツに滑り込み、タオルケットをふんわりかけられるのをうっとりしながら待ってました。

そして、かけられて更にうっとりしてました。

10歳からは虫から人間に成長し、仲の悪い両親の板挟みになり、暗い10代を過ごしてたので、お布団どころではありませんでした。

20代になり遊んで歩いたり、夜更かしを楽しんで、お布団はただの充電器になり、30代あたりからまた癒しの道具に思えてきて、今はすっかり朝起きた時から、夜お布団にくるまって眠ることを楽しみに起きて過ごしてる感じです。

20代の恋愛 ◇お題箱から

「20代の恋の中でなにか印象深いエピソードください」

 

何度もお題箱を見返して、このお題についてたくさん思い返したり考えたりしてみた。

そうしたところ、印象深いエピソードは1行で終わりそうだが、どうやら前置き後書きが長く長くなりそうだ。

 

10代の頃から最近結婚するまで、恋愛に関してはロクでもない女だったので、よく今まで刺されたり訴えられずに済んだな、と世の中に感謝せずにはいられない気持ちになる。

わたし自身の偏見なのかもしれないが、恋愛経験の少ないことをネタにするのは許されるけど、ひたすらモテたり休む暇なく恋愛を繰り返してしまうということは人に不快感を与えてしまうのでは?という不安がつきまとうのだ。

実際にそれが原因で人にどつかれたり欺かれたりした経験があるからかもしれない。

軽蔑されても叩かれても仕方ないが、不意に人に不快感を与えてしまうことが、わたしの恐怖と不安なのである。

 

わたしは人並みの普通の顔である。強いて言うなら、若い頃は生意気な面構えをしてると因縁をつけられたり殴られそうになったりしていたことはある。いつも目立つ存在だったのは、生意気な面と背が高いせいだった。

しかし、中学生の頃からつい最近に至るまで、いつも好意を示してくれる数人の男性がそばにいて、熱心に親しくなろうとしてくれたり一緒に楽しんでくれようとしてくれるお陰で、その中の誰かを好きになってお付き合いする、そんな恋愛の繰り返しだった。

もちろん、好きになると真剣にその人だけを好きになるし、もっと親しくなりたいと積極的にもなる。

ただ、次から次へと誰かが現れると、心変わりをしたりもする。

突然冷めて、今思うと、オイそんなことしたら刺されるぞ、と咎めたくなるような別れ方をしたりもした。

もちろんフラれたこともある。

気分転換という名の、世間では浮気と呼ばれるものをしたこともある。

よくよく若いその頃の恋愛を思い返すと、

熱心にエサを貰う、その中の一番気が合う人を好きになる、付き合う、当然相手はわたしが手に入ったので熱心にエサを与えなくなり、穏やかに育むステージの恋愛に進もうとする、わたしは物足りなくなる、この繰り返しであった。

 

突然だけど、20代の恋の中の印象深いエピソードは、1度目の結婚の夫と出会ったことである。

あとあと知ったことだけど、その時は初対面でお互い一目惚れだった。

わたしは初めて自分の意思で人に恋したのだ。

見た目も声も仕草も体型も全部全部大好きだったのに、とにかく価値観と性格が合わなかった。そしてお互い若かった。子供じみてた。

それでも、初めて好きになった人と結婚できたので、いや〜良かったな〜今のこのままの心境で当時に戻れるのなら、離婚せずにやっていく自信あるな〜、なんてたまに思うほど、良い思い出なのだ。

離婚して11年経つのに、未だに彼の電話番号を暗記していることにも、自分で引く。

しかも、ここ十数年、テレビや映画や舞台で見かけない日はないくらい活躍してる俳優と同じ名前なのが、ずーーーっと忘れずにいてしまう理由の一つ。

 

彼と離婚してからも、まだ20代。

結婚する気も彼を超える人が現れる気もしないから、好意を示してくれる人の中から選んで適当にいい加減な恋愛を繰り返していたような気がする。

30代になり疲れる恋愛を終わらせて、仕事に明け暮れ、飛行機を追っかけ始めたら、恋愛が邪魔になり始めて、でもやつらは放っておいてくれないので、その中から美味しいとこだけ頂いて逃走して、そんなこんなで今の夫に捕獲されたのだけど、まぁ20代はとんでもなかったなーと、ん?30代もかな?と、しみじみ振り返ることができた。

これが5年前に同じお題を貰ったとしたら、自分が痛すぎて振り返ることができなかったと思う。

 

頂いたお題から色んなことを思い返したり分析したり物思いに耽って、若い日の何かをうまく成仏させることができていると思う。

いつも良きお題をありがとう。

これからもお待ちしております。

料理のこだわり ◇お題箱から

「料理のこだわりについてお願いします」

 

何か食べ物を作るとTwitterにあげてしまうし、たまに土日に夫と外食やお弁当を買う以外は、常に何か作って食べている。

献立を考えることは苦痛だけど、料理自体は苦ではない。

工作や実験と同じで、目標を目指して何かを作り上げていくのが楽しいから。

楽しくて、おまけに美味しいものが食べられる。レシピを覚えておけば、美味しいものが繰り返し作ることができるし、アレンジもできる。

 

毎日している料理、こだわり…と思い返したり考えてみると、こだわりは特にない。

ただ、夫が野菜嫌いで、なんとか野菜を避けて通ろうとするので、そうはさせぬよう必ず食べさせるよう工夫したり、だからこそより多くの野菜を入れたりして、今までの野菜不足人生の穴埋めを勝手にしている。

あとは、レシピ通りというよりも、わたしが好きな味にする。もっと甘いほうがいいとか、もっと薄いほうがいいとか、このスパイスは要らないとか。

盛り付けセンスは皆無なので、そこが自分でも残念だけど、次に引越しした先では好きな食器を細々と集めて、せめてお気に入りの食器に盛り付けて満足したいと思っている。

冷蔵庫も大きいものを買ってもらう予定なので、想像するだけで夢が広がるのだ。

 

昨日は、うるち米ともち米を1:2にした鶏肉と舞茸と人参と牛蒡と昆布の五目炊き込みご飯を作ったら、夫が「これは得意技のやつだね。うまいうまい」ともりもり食べていたので、どうやらわたしは炊き込みご飯が得意らしい。

そのほかに、ササミチーズフライと、煮かぼちゃを作った。

こんなふうにして、美味しい美味しいともりもり食べてもらえる料理をずっと作り続けて、食べ続けていきたい。

旅先の美味しいもの ◇お題箱から

旅行したことのある都道府県または海外の国とそこで食べた記憶に残るおいしいものを教えてください。

 

わたしは、あまり旅行をしたことがない。

独身の頃、もっとふらふらと一人でどこかに行けば良かったと少しの後悔がある。

少ない旅行の思い出から、美味しかったものを思い出してみた。

 

大好きな沖縄。

3泊4日と2泊3日で2回沖縄へ行き、3回食べたのは栄町市場商店街の中の「べんり屋 玉玲瓏(イウリンロン)」の餃子と小籠包。

まず商店街の雰囲気がノスタルジックで胸がギュンギュンする。

わんこ蕎麦を食べるかの如く、餃子と小籠包をツルツルごくごく吸い込んだ。

商店街やお店の雰囲気は抜群なので、また行きたい。

沖縄は好きすぎて、一度行くと本気で帰りたくなくなって、那覇空港であまりにもつらくて泣いてしまうほどなので、好き以上の何かがあるのかもしれない。

 

夫の実家がある長崎に、結婚前に旅行した。

晴天の元旦に軍艦島に上陸するという、忘れられない思い出。

わたしは長崎チャンポン皿うどんを、食わず嫌いしていた。まず、白いスープの麺が非常に苦手なカップヌードルシーフードを彷彿とさせるから。そして、おこげに熱々の餡をかける料理が好きじゃないため、似たような皿うどんを視界に入れずに生きてきた。

佐世保のガード下の古い食堂の雰囲気があまりにも好みだったため、意を決して皿うどんをオーダーした。夫はチャンポン。

この日から、皿うどんはわたしの好きなごはんの一つになった。どう美味しいのかと問われると、何も答えられないけど。バリバリ食べる麺が好きなだけかもしれない。

ひと口もらったチャンポンは、カップヌードルシーフードの味はしなかったけど、よくわからない味だった。

まだ、時期ではないのかもしれない。

 

中学校の修学旅行で訪れた北海道から思い出される食べ物は、ビスケットのマリーである。

最後の1泊の日、わたしの布団の中でビスケットのマリーを食った奴がいた。眠くなって布団に入ると、甘い粉でチクチクザラザラした。

高校の修学旅行は韓国で、とにかく空気が合わなかったせいか、4泊5日間ずっと咳が止まらず、咳止めを毎食後飲んでも止まらず、死ぬ思いをした苦しい思い出が強すぎる。強いて言うなら、途中のドライブイン的なところで売ってた、人参と牛蒡がたっぷり入ったさつま揚げみたいなものが串に刺さってて、それにケチャップのようなものをかけて食べたよくわからないものは、はっ!とする美味しさだった。

福岡は長崎に帰省する際の経由地で、必ず天神ホルモンで食事する。天神ホルモンは、毎日食べたいくらい好き。美味しい。

神戸は友人の結婚式で、伊丹空港でたこ焼きを食べながら居眠りしてしまい、ビックリした。

東北はまぁ適当に、美味しいものはたくさんだよね。

あとはついつい東京に出て遊んでしまうという感じで、思い返しても旅行の思い出が少ないな〜と、改めて感じた。

なので、Twitterで人々がわたしの行ったことのない地で食べたことのない食べ物を食べていると、わぁ〜とワクワクウキウキしてしまうのだ。

 

ちなみに今一番行きたいところはハワイです。

わたしは夫を愛しているのか ◇お題箱から

「夫さんのことを愛していますか?」

自分が愛されているかどうかには厳しく、ネガティブな方向に過敏に反応しがちで、ただの思い込みだったり被害妄想だったり、おれはもうだめだと落ち込んだり不貞腐れたり独り相撲をとったり、大変面倒くさい女なのだけど、自分が夫を愛しているかはあまり考えることがなかった。

ごくたまに、あれ?わたしは夫を愛していないのかもしれない、と後ろめたい気持ちになったりしたことは、あった。

 

何をもって愛しているとか、猫に対しては明確だけど、夫に対しては明確ではない。

だから考えてみた。

夫が死ぬほど落ち込んで、5日間おれはもうだめだ状態になっても静かにそばにいるだろう。

6日目もおれはもうだめだ状態だったら少し離れるだろう。

7日目もおれはもうだめだ状態だったら張り倒していい加減にしろと詰るし、愛想を尽かしてしまうかもしれない。

でも、同じ気持ちで同じ方向を向いているのなら、じめじめぬめぬめ暗闇の洞窟でも、灼熱の砂漠の街でも、誰もいない寒い星でも、楽しく過ごしていきたいし、たくさんの笑いや喜びをせっせと彼に運びたいなと思うので、これは大いに愛している、といえることなのかもしれないな、と、自分の気持ちの発見をすることができた。

大事な質問をありがとうございます。

 

今年の夏の思い出、夏の予定 ◇お題箱から

7月の三連休、ご無沙汰していた趣味の釣りに火がついた夫は、炎天下の中わたしを引き連れ休みのたびに川原へ行った。

暑さも日焼けも嫌いなわたしは、正直ウンザリしていたが、川原で食べるお弁当やアイスやジュースは異様に美味しかった。

川の流れと、山にかかる雲や川にかかる橋や、その上をゆっくり通過する汽車、たまにかかる虹は、えも言われぬ癒しをくれた。

 

8月の初め、一人で実家に5泊した。

時間にも家事にも追われず、父や母とくだらない話をしたり出かけたり、猫を追いかけたり抱っこしたり、時間関係なく寝たい時に寝たり、もう手に入らない生活だと思うと、泣けるほど楽しかった。

 

実家から帰る間際に観た、地元高校の甲子園初戦、地元の子たちが楽しそうに闘って、楽しそうに勝利していた。

1回戦を勝ち抜いただけで満足し、目と鼻の先にある金足農業に「今年は野菜でも買いに行くか」と母が話していた。

晴れ晴れとした気持ちで石巻まで帰り、日常が戻ってきた。

 

夫の9連休、釣りコストコ釣り甲子園釣り甲子園釣りの繰り返し。

甲子園決勝敗れるも、お陰で最高の夏をありがとう!!と余韻も束の間、松島基地航空祭がやってくる。

甲子園終了の翌日から、朝から基地へ。

苦しいほど暑いとはいえ、空は秋の青さだった。

予行訓練、滑走路沿いに停まる車は全国津々浦々の県外ナンバー

カメラを構える人々、日焼けも気にせずはしゃぐ大人の女たち、予行からお祭りの匂いである。

一昨年、被災していた松島基地が完全復活し小規模ながらも航空祭が再開された。

昨年、前年より少しプログラムが充実された航空祭

今年、プログラムてんこ盛りやる気満々な航空祭

けして愛想を振りまいたりしないカタブツの夫が、ファンたちと交流する任務を命ぜられたり、フライト以外にも見応えのあるものがたくさんあるため、完全装備で乗り込む必要がある。

 

明日は夫は朝4時出勤、夜まで勤務。

夫もわたしも、おそらく最後の航空祭

カメラにも目にも心にも、一生懸命焼き付けよう。

約束したので夜は、たらこスパゲティ大盛りを食べに連れてってもらえる。

そうして2018年の夏は終わりそう。

しあわせです。

竿燈祭りの思い出 ◇お題箱から

子供の頃、数年おきに竿燈祭りに連れて行かれていた。

子供のわたしにとって竿燈は、ただの綺麗な提灯のお祭りで、10分も観たら飽きてしまう。

たくさん並んでいる露店をのぞきたくても、そこら一体が満員電車の中のようで、黙って引率の大人のそばで退屈してるしかないのだ。

 

小学校も高学年になり中学生になり大人と行動しなくなり、竿燈のことなど忘れて過ごす毎日。

高校一年生になり、無理くり硬式野球部のマネージャーをさせられた。

高校生になったばかりのわたしには、日焼けして体格が良く、大人どころかおじさんに見えるほど貫禄がある先輩に「辞退します」なんてとてもじゃないけど言えなかった。

他に、マネージャーになった女の子が三人いた。

その三人とも仲が良くなって、野球部にも慣れてきて、夏の県大会は敗退して、夏休みに入って、ゆるい空気が流れていた。

夏休みの野球部の活動が終わるのは19時。

だらだら着替えて四人で自転車にまたがった時、誰かが「今日竿燈じゃない?」「混みすぎ。無理」「チャリで通り過ぎるだけなら」という流れで、行ってみることにした。

ひどい人混み、蒸し風呂のような熱気。

自転車ではもう進めなくて、ふと目に留まったのは、竿燈通りに面した、入る店入る店潰れていく雑居ビル。

非常口のドアを開けてみたら、スッと開いた。

目を合わせ、するりと吸い込まれるように四人は入り込み、暗い階段を屋上まで駆け上がった。

屋上のドアが開かなかったら諦めようと思っていたのに、駆け上がった階段の突き当たりのドアの隙間から外の灯りが漏れていた。

屋上に出たら、通りの熱気とはまた別の、ぬるいぬるい夏の風が吹いていた。

真下には竿燈がゆらゆら揺れている。

ふと顔を上げて見渡すと、何百メートルの距離を薄橙色の稲穂が太鼓と笛に合わせてゆらゆら揺れている。

圧巻だった。

宣伝用のポスターやニュースの映像なんかより、遥かに美しかった。

無言で見てた。見渡していた。

隣にいる友達の頬が、瞳が、下で揺れてる提灯の明かりでオレンジに照らされていた。

本当に綺麗だった。

今でも鮮明に覚えている。

 

それから、どうやって別れてどうやって帰ったかは覚えていないけど、おそらくいつも通りに女子高生特有の気だるい挨拶をしてそれぞれ別れたのだろう。

 

お題箱で、竿燈の思い出は?という言葉を見た瞬間、セーラー服と夏の夜のぬるい風と薄橙色の稲穂と無数の提灯に照らされる友達の頬と瞳が、大きな波のように思い出された。

その思い出に対する感情は、美しかった、綺麗だった、以外に特にない。

でも、忘れられない、忘れたくない、一生の財産にしたい思い出だ。

 

22年前の思い出、蘇らせてくれて

ありがとう。