A子の呪縛③

東京でぶっ倒れて、地元に戻って療養し、親は離婚して母と生活を始め、体調も戻り社会復帰した。

仕事終わりにてくてく歩いて自宅までの坂を上っていたら、背後から声がした。

「ねんこ、おかえり」

振り向くと車の運転席の窓からA子が手を振っていた。

心臓とうなじが凍った。

次にA子が放った言葉もすごかった。

「彼氏できた?結婚は?わたしはね、もうすぐ結婚するの。もし彼氏いないなら、誰か紹介してあげる。うふふ」

「彼氏いるからいらないよ。結婚するんだ。おめでとう」

「ねぇ今度飲みに行こうよ。メアド教えて」

「今日携帯忘れたからわかんないや、あはははは」

「残念。でもまたここ通ると、ねんこと会えるね」

「ばいばい」

なんとか逃げた。

家に帰ってから、体が冷たくなった。

 

それから年に1、2度忘れた頃にA子と共通の友達と偶然会うと「ねんこ、彼氏いるの?A子が気にしてたよ?」と言われた。

毎年毎年こうだ。

恐ろしくて、1度目の結婚をした時も誰にも言わなかった。

とうとう三十路を超えて、女性の厄年の同窓会へ行った。A子も来ていた。A子は結婚していなかった。

目を合わさず1次会が終わり、2次会へ移動する前にホテルのお手洗いに行った。

個室を出たら、A子がいた。

「ねんこ、元気だった?4年前と1年半前に、イオンと西武で、ねんこのこと見たんだよ。それぞれ違う男の人といたね」

ゾッとした。

どちらも記憶があった。

どちらも、遠くからA子を見つけ、踵を返した時のことだ。A子はちゃんと見つけていたし、それを今日この日まで覚えていたのだ。

「よく覚えてるね」

「うふふふ」

 

それから数年、去年の夏にFacebookを開いたら「知り合いかも」とA子が表示された。

旧姓のままだったけど、札幌で暮らしてるようだった。0歳からの幼馴染にその話をすると、結婚すると言って彼氏のいる札幌に引っ越したらしいよ、ということだった。

不幸になれとは思わないが、幸せになれとも思わない。

 

30数年前にA子と出会ってから今日まで、当然ここには書ききれないほどのいざこざや悔しいことや、虚しいことがあった。

小学校5年生の時にホームルームで、一人立たされ皆に疑われ責められ晒し者にされた時、疲れ果てて、人を諦めるということを知った。

諦めは大切なことだけど、そういうことじゃない。おそらく知らなくていいこと、経験しなくていいことも、たくさんたくさん経験させられた。

A子に出会わなかったら、わたしの人生は今よりも傷んでなかった。

出会わなければ良かったのに、と心からの思う人間はA子ただ一人だ。

 

わたしの母も、わたしの幼馴染も、いまだにわたしの口から「A子」という言葉が出ると、ハッとして息をのむ。

周りの人間もそうなるほど、わたしの人生はA子に穢され続けてきた。

もう、呪いはとけているんだろう。

まもなく40だもの。

A子はもう、わたしのことなど忘れているだろう。

でも、30数年間にわたってされてきたこと、囚われてきたことは、こうして忘れた頃に夢に現れる。

A子はもう何も思ってなくても、わたしはずっとずっと囚われたままなのだ。

毎日A子のことを考えているわけでないし、ほとんど忘れて過ごしてる。

A子のことを許せないとか、思ったこともないのに。

それでも、無意識の中で、わたしは囚われている。

いつまでこの呪縛は続くのか。

彼女の目的は何だったのだろう。

 

 

はじめて、こんなふうにあきこのことを書きました。

少しスッキリしたかも。