竿燈祭りの思い出 ◇お題箱から

子供の頃、数年おきに竿燈祭りに連れて行かれていた。

子供のわたしにとって竿燈は、ただの綺麗な提灯のお祭りで、10分も観たら飽きてしまう。

たくさん並んでいる露店をのぞきたくても、そこら一体が満員電車の中のようで、黙って引率の大人のそばで退屈してるしかないのだ。

 

小学校も高学年になり中学生になり大人と行動しなくなり、竿燈のことなど忘れて過ごす毎日。

高校一年生になり、無理くり硬式野球部のマネージャーをさせられた。

高校生になったばかりのわたしには、日焼けして体格が良く、大人どころかおじさんに見えるほど貫禄がある先輩に「辞退します」なんてとてもじゃないけど言えなかった。

他に、マネージャーになった女の子が三人いた。

その三人とも仲が良くなって、野球部にも慣れてきて、夏の県大会は敗退して、夏休みに入って、ゆるい空気が流れていた。

夏休みの野球部の活動が終わるのは19時。

だらだら着替えて四人で自転車にまたがった時、誰かが「今日竿燈じゃない?」「混みすぎ。無理」「チャリで通り過ぎるだけなら」という流れで、行ってみることにした。

ひどい人混み、蒸し風呂のような熱気。

自転車ではもう進めなくて、ふと目に留まったのは、竿燈通りに面した、入る店入る店潰れていく雑居ビル。

非常口のドアを開けてみたら、スッと開いた。

目を合わせ、するりと吸い込まれるように四人は入り込み、暗い階段を屋上まで駆け上がった。

屋上のドアが開かなかったら諦めようと思っていたのに、駆け上がった階段の突き当たりのドアの隙間から外の灯りが漏れていた。

屋上に出たら、通りの熱気とはまた別の、ぬるいぬるい夏の風が吹いていた。

真下には竿燈がゆらゆら揺れている。

ふと顔を上げて見渡すと、何百メートルの距離を薄橙色の稲穂が太鼓と笛に合わせてゆらゆら揺れている。

圧巻だった。

宣伝用のポスターやニュースの映像なんかより、遥かに美しかった。

無言で見てた。見渡していた。

隣にいる友達の頬が、瞳が、下で揺れてる提灯の明かりでオレンジに照らされていた。

本当に綺麗だった。

今でも鮮明に覚えている。

 

それから、どうやって別れてどうやって帰ったかは覚えていないけど、おそらくいつも通りに女子高生特有の気だるい挨拶をしてそれぞれ別れたのだろう。

 

お題箱で、竿燈の思い出は?という言葉を見た瞬間、セーラー服と夏の夜のぬるい風と薄橙色の稲穂と無数の提灯に照らされる友達の頬と瞳が、大きな波のように思い出された。

その思い出に対する感情は、美しかった、綺麗だった、以外に特にない。

でも、忘れられない、忘れたくない、一生の財産にしたい思い出だ。

 

22年前の思い出、蘇らせてくれて

ありがとう。