うちの猫たち ◇お題箱から

ブリティッシュショートヘアが2匹います。

ブルー(灰色でしっぽだけしましま)の猫は、イムハタという名前です。

結婚して間もない頃、くだらないお笑い好きの夫に「マジ歌選手権のトシムリンの「抱きしめてイムハタ」って知ってる?」と尋ねたら「知らない」というので見せてあげました。するとドップリと魅せられてしまったようで、いつか猫を飼いたいねと話していた時に「そしたら名前はイムハタがいい」と夫がいうのでした。

まだ見ぬ我が猫の名前だけを先に決めて、イムハタがいる生活を夢見たものです。


イムハタが我が家にやってきました。

案の定わたしは気が狂わんばかりに可愛がり、1匹で眠ったりお留守番させると寂しがるので可哀想で可哀想で、仲間を増やしたいと夫にねだりました。イムは少し臆病で個性的で内弁慶なので、明るくやんちゃな子がいたらいいね、と話したら夫は納得しました。夫に「今度の名前はねんちゃんが決めようか」と言われ、やんちゃな動物…と考えていたら、ピンポン!とばかりに「スコシ」という名前が閃きました。

大好きな漫画、動物のお医者さんに出てくる外国人夫婦に飼われているキャンキャン煩い元気な小さな犬の名前です。

「なにそれ」と不思議に思う夫に、スコシの説明をしたところ「それはいいね」ということで、またもやまだ見ぬ2匹目の猫の名前だけが決まりました。

そうこうしてるうちにやってきたスコシは、クリーム色と茶色の不思議な柄のやんちゃなずんぐり猫です。

2匹は初めて会った2日目から仲良しです。

お弁当について ◇お題箱から

わたしは自分が作った弁当が大嫌いで、お昼に蓋を開けた途端、それまでの空腹が嘘みたいに消える。

しかしそのまま持って帰るのも嫌だし、食べないと午後の力にならないし、しかたなく、本当にしかたなく食べる。

昼にそんな憂鬱な思いをするので、暗い様子で朝に弁当を作ってたら、母が「なに?弁当やなの?」と聞いてきたので「わたしが作る弁当はゴミだ」と漏らしたところ、翌日から母が作ってくれるようになった。

とんでもないパラサイトシングルであった。


今は夫に弁当を作る身。

SNSが携帯電話と同じくらい人々の人生に入り込んだせいで、美しい弁当やお洒落な弁当が誰の目にも入るようになった。そのせいでますますわたしは自分が作る弁当が嫌いになった。

美しい弁当もお洒落な弁当も、わたしはセンスがなくて作れないし、かといって弁当ごときにセンス磨きの努力をする価値が見出せない。

なのに人々は、美しくお洒落な弁当を作り、食ったり食わせてる。

ムカつく。嫉妬である。

でも、たまにはわたしも弁当の写真を撮る。

記録したいし、記憶がなくなった時の参考にしたいし、無様でかわいいから。

 

改めて弁当について考えた時、気づいたことがある。

わたしは母親以外の手作り弁当を食べたことがない。そして母親以外の手作り弁当など食べたくない。

もしも夫が弁当を作ってくれたら、感謝の気持ちから頂くが、できれば食べたくない。

コンビニでも何でも、「お弁当を売る」ことができるプロの人たちと、母親以外の弁当は食べたくない自分に、初めて気付くことができました。ありがとうございました。

戦闘機との出会い ◇お題箱から

わたしは30数年間、日本保有の戦闘機の存在を知らなかった。

初めて見た基地は米軍の横田基地だったし、沖縄で見たのも嘉手納基地だった。神奈川の辻堂に住んでた頃、家の上をバリバリ飛んでいたのは米軍の厚木基地の戦闘機だったし、日本には米軍の戦闘機しかいないと思ってた。無知は恥で罪。

もともと旅客機は好きだったけど、たまに空港のデッキで飛んで行く飛行機を眺めていた程度だった。後から考えると飛行機を見に行く時は、病んでる心を抱えてた気がする。


法律事務所ってどんなところか見てみたい!どうせ落とされるだろうし。という動機で法律事務所の求人に応募して面接したら、なぜか未経験なのに受かってしまい、毎日全てがわからないことだらけで、日々切羽詰まりながら仕事してた。

勉強しないと仕事が進まない。聞いたことのない言葉だらけ。休みの日も勉強してた。心が鬱々として、つねに不安だった。

そんな時、金曜日の午後に事務所のボス弁の奥様がいらして「東北六魂祭ブルーインパルスが事務所のすぐそこで飛ぶわ。みんなで見に行きましょう」と誘ってくれた。

勤務時間中に仕事しなくて良いなんてサイコー、という理由でついて行った。

驚くくらいギャラリーがいて、カメラ小僧だらけだった。

ぼんやりしてたら、飛行機のお腹のメカメカしいところまでくっきり見えるほど低くキラキラしたブルーインパルスが挑発的に飛んできた。

ハッとして、無心で見上げていたら、後方からスモークを出した5機がキラキラしながら空を突き抜けていった。あまりにも美しくて力強かった。

その時に、今までしてきた苦労も傷もこれからの不安も不満も、もう大丈夫!これがまた見られるなら、見るためなら幾らでも頑張れる!という、初めて湧き出る感情に全身が満たされていた。

やっとわたしはこの世に生まれた、と思った。世界がワントーンもツートーンも明るくなった。

自己肯定と自信が生まれたあの瞬間のことは今でもはっきり覚えてる。

この出会いは、わたしの光であり、救いだった。


そこから、あれには人間が乗ってるのよね?何者?と調べたら、やはり人間が乗ってて、戦闘機のパイロットとのこと。

戦闘機??日本の戦闘機って何??て調べたら3種類もいて、めちゃくちゃカッコいい。

ちょっと待ってやだ素敵。戦闘機飛んでるところ見てみたいたすけて。有給休暇いただきます。と、あれよこれよとマグマのようなお熱を上げていくのでした。

お正月は終わった ◇お題箱から

「お正月」とは、お正月が大好きと公言し続けるわたしの代名詞だった。

 

年末に母と市場やスーパーで「だってお正月が来るもんね」と、普段買わない食材を買ったり、お菓子を買い込んだり、しまいには大型書店に出向いて予算を決めて「お正月に読みたい本」をどっしり買ったり、

母が朝から台所に立って、こつこつとお正月料理を拵えて、中途半端な時間に食事をとり、午前0時にリビングに家族全員いるなんて、一年に一度、大晦日だけの出来事だ。

元旦の朝、お正月がきてしまったからにはもう終わってしまうのだと少しさみしくなる。

でも、元旦の朝特有の怠惰な時間を過ごしていると、とっぷりと理想通りの求めていた時間を過ごしていることに、心が満たされていた。

何もしなくてもごはんが出てくる、暖かいリビングがある、犬がいて猫がいる、パジャマの裾が長くてあたたかい。

母が離婚するまで、家の中では常に気が張り詰める生活を送っていたわたしは、かなり遅くにやってきたお正月の幸福に涙が出そうになりながら、一年一年を楽しみに、大切にしていた。

そんなお正月は、わたしが結婚したことによって、終わってしまった。

つらいことではないけど、少しさみしい。

でも、もう戻らない時間を大事に思い出すことが好きだから、それでいい。

これからはどんなお正月を過ごそうか、なんて、そんなことは考えない。

もう、わたしの大好きな終わってしまったのだから。

大切なお正月は過去のものとなったので、不変なのだ。