お弁当について ◇お題箱から

わたしは自分が作った弁当が大嫌いで、お昼に蓋を開けた途端、それまでの空腹が嘘みたいに消える。

しかしそのまま持って帰るのも嫌だし、食べないと午後の力にならないし、しかたなく、本当にしかたなく食べる。

昼にそんな憂鬱な思いをするので、暗い様子で朝に弁当を作ってたら、母が「なに?弁当やなの?」と聞いてきたので「わたしが作る弁当はゴミだ」と漏らしたところ、翌日から母が作ってくれるようになった。

とんでもないパラサイトシングルであった。


今は夫に弁当を作る身。

SNSが携帯電話と同じくらい人々の人生に入り込んだせいで、美しい弁当やお洒落な弁当が誰の目にも入るようになった。そのせいでますますわたしは自分が作る弁当が嫌いになった。

美しい弁当もお洒落な弁当も、わたしはセンスがなくて作れないし、かといって弁当ごときにセンス磨きの努力をする価値が見出せない。

なのに人々は、美しくお洒落な弁当を作り、食ったり食わせてる。

ムカつく。嫉妬である。

でも、たまにはわたしも弁当の写真を撮る。

記録したいし、記憶がなくなった時の参考にしたいし、無様でかわいいから。

 

改めて弁当について考えた時、気づいたことがある。

わたしは母親以外の手作り弁当を食べたことがない。そして母親以外の手作り弁当など食べたくない。

もしも夫が弁当を作ってくれたら、感謝の気持ちから頂くが、できれば食べたくない。

コンビニでも何でも、「お弁当を売る」ことができるプロの人たちと、母親以外の弁当は食べたくない自分に、初めて気付くことができました。ありがとうございました。